エッセイ 「フランス・パリ 2人の貴婦人」

出会いとは、自分の家の便器に隕石が落ちてきてスコーンと入るくらいの奇跡だと言うが、僕と彼女の出会いもそんなようなものだった。



その日僕はフランスを旅行していて、パリ滞在2日目だった。旅行といっても、いつものバックパッカーの1人旅で、食費は基本的に節約、ホステルも移動も安く抑えて、ひたすら歩き回る旅である。協調性がないということなのかもしれないが、こういう1人旅がとても好きだ。

今回もそんな旅だった。パリ2日目は偶然同じくフランスに旅行していた友人達と朝早くからルーブル美術館を観て周ったが、友人達はその日の夜のバスで移動するため、お昼からはまた1人での行動になった。話し相手がいる旅行の楽しさをかみしめながら、ルーブル美術館を出てすぐのマクドナルドで、いつもより上品な味に感じるチーズバーガーを食べた。

その後、セーヌ川の中州にあたるシテ島のノートルダム大聖堂のすぐ近く、ステンドグラスで有名なサント・シャペルに入るための行列に並んだ。



例によって、いかにも典型的な旅慣れてない旅行者の象徴ように、「地球の歩き方」(ダイヤモンド社)を脇に挟んで、大きめのバッグを肩から下げ、蒸し暑さで少し汗をかいていた。そしてまた、典型的なついていない男の象徴のように、「地球の歩き方」(ダイヤモンド社、ヨーロッパ編、先輩にもらったやつ)を開いて見ている僕の腕まくりをした右手に、ハトが綺麗に糞を落としていった。

What the fu**!!

思わず出る言葉。まだ腕まくりをしていたため服に付かなかっただけよかった。緑と白と黒の混じったドロッとした物体が腕についている。右手をかばいながら、バックに手を伸ばし、「地球の歩き方」(分厚くてボロボロのやつ)をなんとかしまい、ティッシュを探す。無い。いやあるんだけど、取れない。バッグにぐるぐる巻きにしてしまってあるジャケットの右ポケットに入っているのだ。この状況でそこまで理解できるも、取れなければどうしようもない。途方に暮れていると、後ろから笑い声が聞こえる。

可哀想ね。これ使って!私もあの鳥は嫌いよ(笑)

英語だった。
いい色に焼けた小麦色の肌。華奢な足にハーフパンツを履き、すらっとした上半身はタンクトップにシャツを羽織っている。少しふっくらした顔に優しい口元、ブラウンの眼、細く強い眉毛。栗色の長い髪をかきあげて、大きめのサングラスを頭に乗せている。小さなカバン、きつく縛った足元のスニーカー、彼女は典型的な旅慣れたヨーロピアンの象徴だった。いたずらっぽく笑いながら、僕にポケットティッシュを差し出している。ポケットティッシュといっても、海外のそれは正方形の紙ナプキンに近い。苦笑いしながら紙ナプキンを受け取り、腕のshitを綺麗に拭き取る。すると彼女は、また小さめのバックから香水を取り出す。

腕を出して。

笑いながらそう言って僕の腕、さっきまでハトのshitがfu**だったところに優しく吹きかける。

Better??

Yeah...Thanks, much better.

汚れた紙ナプキンを道端のゴミ箱に捨てくる。彼女の優しさに感動して、何度もお礼をいった。彼女の名前はソフィーといった。ドイツから来ていて、僕と同じように1人で旅をしているらしい。そんな事を話しているうちに、行列はどんどん入り口に近づいていって、僕は彼女と一緒にこの教会を見る事になった。小さい教会で、聖堂は天井以外全てがステンドグラスでできていて、しばしばガラスの箱のようだと表現される。綺麗だねと話しているうちに全て見終わってしまうくらいの規模の教会だ。



教会を出て、お腹が空いたという彼女に僕がお昼をご馳走する事になった。さっきのお礼だ。近くのカフェに入る。彼女はパニーニのようなものを注文する。僕はコーヒーだけ飲みながら彼女と会話をする。僕の片言の英語で彼女を楽しませる事が出来ているのか不安だったが、彼女の、ソフィーの笑顔に僕が虜になるには充分すぎる時間が経っていた。その後一緒に凱旋門、エッフェル塔まで歩く事になり、ルーブル美術館のピラミッドからコンコルド広場を抜けて、シャンセリゼ大通りを2人で歩いた。

凱旋門に着いて、凱旋門に登ろうと言うソフィー。僕は実は前日も登っているのだが、もう一度チケットを購入して一緒に登る。ルーブル美術館からかなり歩いた後に登る凱旋門の階段はだいぶきついはずだが、きつい顔を一つもせずに彼女は楽しそうに登っていく。頂上に着くと、パリ市内が一望できる。パリ市内はビルディングの高さ規制がされていて、空が広く街がどこまでも広がって見える。凱旋門を中心に放射状に広がる通り。喧騒。パトカーのサイレンの音。少し曇ってジメジメした天気。控えめに存在感を出しているエッフェル塔。そしてソフィー。なんというか、完璧だった。



何枚か写真を撮って凱旋門を後にして、今度はエッフェル塔に向かう。この時点でまだ空は全然暗くないが、すでに19時近い。この時期フランスは22時過ぎまで明るい。2人で30分ほど歩いて、パリ16区シャイヨー宮に着く。ここはエッフェル塔を見るベストスポットだ。展望台から旅行者がエッフェル塔を持ってみたり、つまんで見たりして写真を撮っている。みんな階段に座りエッフェル塔をバックに大道芸人のダンスパフォーマンスを眺めている。黒人たちが自撮り棒とエッフェル塔の土産物、ビールだなんだと売りつけてくる。彼らをかわしながら、エッフェル塔に近づく。楽しそうに写真を撮るソフィー。ソフィーもまた細く長い手でエッフェル塔をつまんでいる。僕は絶対やりたくない。



エッフェル塔は「鉄の貴婦人」と呼ばれている。確かに、しなやかな曲線は巨大なエッフェル塔を上品な女性のような佇まいにしている。パリの景観を壊すという理由で建設当初は大論争があったようだが、今ではエッフェル塔がパリの顔だ。どっしりとしていて、でもうっとおしさもない。まさに貴婦人そのものだ。その横で時に神妙な顔持ちで思い出したようにBeautifulと言ったかと思えば、すぐに楽しそうに笑顔で僕を見てくるソフィー。エッフェル塔と彼女、2人の貴婦人を見ていると、彼女は貴婦人というより、ヨーロッパの田舎町や大自然の中を駆け回っている方がよっぽど似合うなと笑ってしまう。あぁきっとそうだ。彼女のFacebookのプロフィール画像は例によって典型的な旅好きのヨーロピアンの象徴のように、長い髪をなびかせながらサングラスをかけて笑っている彼女越しに、写真でしか見た事がない自然遺産や観光地やら綺麗すぎるブルーの海が見事に加工されながら広がっているに違いない。凱旋門の上に彼女が立った時も、エッフェル塔の手前に彼女が立った時も、パリの絵のような景色は、バラードもしくはキャッチーなラブソングのミュージックビデオの中の風景のように変わって行く。

だいぶ陽も傾いてきた。この後、いつホステルに戻るのかソフィーに聞いてみると、特に何も考えていなかったらしい。ディナーを食べてから帰るつもりだと言っていた。ここで僕は勇気を出して提案してみた。

一緒に夜ご飯を食べない?

もちろんいいわ!どこに行きましょうか?

嫌な顔を一つも見せない。こんな事もあるもんだなと小さく震えながら、近場でお店を探す。ちょうどエッフェル塔が見える近場のレストランのテラス席でご飯を食べる事にした。僕は3日後にフルマラソンが控えているため、禁酒をしていたが、ここでお酒を飲まないわけにはいかない。食前酒を頼み、ライムの効いた果実酒を飲みながら料理を待つ。前菜のサラダ、チーズの後にパスタが来る。完璧だった。ソフィーは僕と年齢も近く、話も合った。今までどこに旅行に行ったか、将来何をしたいか、家族の話、いろいろ話した。ソフィーも真剣に聞いてくれた。なんていい人なんだろう。

完璧な時間が過ぎて、レストランを後にした。どこに行くかじゃない。誰と行くかなんだと友達が言っていたのを思い出した。こういう事か。だいぶ陽の落ちたパリの静かな通りをメトロの駅を目指してゆっくり歩く。弱い食前酒とは言え、久しぶりに飲んだお酒がやはりいい具合にいい具合となっている。彼女は次の日は南フランスに行くらしい。僕はモンサンミッシェルへ向かう。もちろん泊まっているホステルも違う。ハトが運んできたウン(運)はここで終わる。出会いもここで1度途切れてしまう。心地いい風が吹いたと思ったら、小雨が降ってきた。駆け足でメトロへ向かう。セーヌ川沿いブルボン宮、エールフランスバスの建物を抜けて、Invalides駅へ。この駅で僕は8番線へ、彼女は13番線に乗る。ここでお別れだ。地下に入ると外よりもっとジメジメしていて、やはり臭いがきつい。チケットを買う。改札を抜けて13番線のホームへ向かう。すると彼女が

今日は楽しい時間をありがとう!じゃぁ、またね!

的なニュアンスの事をもっといろいろなセンテンスを交えて言った。そして、僕の首に手を回し、左の頬に軽くキスをした。典型的なヨーロピアンの別れ際のあれこれを終えたあと、あの優しい笑顔で、See you soon!と言って手を振った。僕もまた典型的な日本人のはにかみでsee you again.と手を振った。ホームにゆっくり消えていく彼女。僕も8番線のホームを目指して歩き出す。この1日の出来事をぼーっとしながら振り返って、気づいたらホステルに着いていた。ホステルでトイレに行って気づいたが、僕の左のほほに薄く彼女の、ソフィーの口紅が付いていた。鼻の下を伸ばしながら、にやけながら、顔を洗って、あぁ典型的なアホな男の象徴だなと笑いながらベッドに沈んでパリ2日目の夜が終わる。窓の外から楽しそうな笑い声が聞こえてきて、パリの街角で僕に起こった奇跡に想いを馳せながら、同じような奇跡が世界中の街角で、路地裏で起こっているのを想像しながら、この文章を書いている。



なんて夢みたいな話は僕の身に起こるわけもなく、こんな典型的なもてない男の象徴のような妄想をしながら、苦笑いで紙ナプキンを受けとって、Thank you so much, merci...って言ってフランス2日目は終了ですよ。つまりハトの糞まではリアル、それ以降は妄想。勘のいい方は、2人の貴婦人の下りでもう妄想だと気づいていたでしょう。最後まで読んでくれてありがとうございます...

イギリス・ロンドン留学生活

Niseko, Hakodate, London, Scotland 増えていくアナザースカイ "When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford." by Samuel Johnson

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